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【不安とは】「先が見えない不安」とは、人々の口癖である。しかし、人生の先が見えないのは当たり前のことである。

先が見えないのは当たり前

「先が見えない不安」とは、

人々の口癖である。

しかし、

人生の先が見えないのは、

当たり前のことである。

そんなのは

今に始まったことではない。

人生の価値は、

生活の安定や生命の保証

にあると思っていると、

そのこと自体で、

人は萎えてくるように思う。

倒産から脳梗塞まで、

人生にはいろいろあるのが

当たり前だからである。

むろん、

それはそれで本当に

大変なことである。

けれども、

そんな大変なことどもを、

どれだけ萎えずに

生き抜くことができたか、

それこそが人生の価値なのだ。

そう思っていた方が、

逆に生き易いような気がする。

〈41歳からの哲学〉池田晶子(著)抜粋引用

 

【文家ブルーメモ】

「先が見えないのは当たり前」

わたしのこれまでの人生で、

初めて聞くフレーズです。

確かにそう思って入れば、

こころの中に「不安」という、

究極の消極的な言葉は、

住み続けることは出来なさそうです。

今にして振り返ってみると、

わたしが50歳の時に発症した、

「脳梗塞」にしても、

かなり心の中に「不安」という魔物が、

住みついていたような気もしています。

30歳の頃に妻と出会い、その頃は、

25歳から始めた事業会社の規模も、

社員数一桁くらいの小さな会社で、

若さと、夢と希望だけを握りしめた、

勢いだけで突っ走っているような、

24時間、365日、仕事のことが頭の中の中心で、

そんな若さに任せた頃ではありましたが、

それでも、時には、失敗があったり、

思いもよらない事故があったり、

そんな行きつ戻りつの日々の中で、

「不安」がよぎったり、

住みつきそうになったり、

そしてそんな時には決まって、

妻の「大丈夫だよ」の笑顔の一言で、

すぐにその「不安の崖」の淵から、

サッと身を翻して気持ちを立て直して、

また颯爽と前を向いて歩き出す自分、

確かにその日常がずっとあったのですが、

その50歳の頃は、

わたしの守護神のような

そんな存在であった妻の病の悪化で、

私の心の中には常に「不安」という

魔物が住みついていたような気がします。

幸い、軽度な「脳梗塞」で、

何とかその時期も乗り越えられて、

そこで萎えずに生きれたのは、

それこそ妻と息子の存在ではありますが、

そうして考えてみると、上の文章によれば、

それこそが「人生の価値」ということであるので、

ここは、原点に立ち返って、

「人生いろいろあるのが当たり前」を、

しっかり胸に刻んで、

一歩ずつ歩んで行きましょう。

「中村天風・因果律の法則」

恐怖というものは、

一番、

恐ろしいほどの

印象力を持っている。

印象力を持っているのであるから、

早晩、

その恐れている事柄が、

現実になって、

形象化されるのが当然である。

回復のはかばかしくない病人や、

不幸の人をジッと見ていると、誰も、

思ったり考えたりしている事柄が、

すべて消極的である。

神経過敏な人などは、

「到底一生、

健康なんかになれるはずがない。

一生こうして苦しめられ続けて

死んでしまうんだ。」というふう、

人生を極めて消極的に独り決めし、

何事に対しても、

恐怖的な気持ちで、

落ち着かず、

少しも安心していない。

「因果律の法則」は、

そういう考え方をしている人に、

不健康や、不運命を、最も、

”苦い”形で作り上げてしまうのである。

〈運命を拓く〉中村天風(著)抜粋引用

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