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心映え読書時間

【中村天風の生きる手本】宇野千代(著)

「中村天風の生きる手本」宇野千代(著)
「百万人の読者」が幸福をつかんだ名著。
☆この「天風先生座談」は、天風先生の講和の中から、出来るだけ、先生の生の声の印象をそのままにと留意して、編集したものである。
ちょうど私が、先生の講和によって蘇生したのと同じ経過で、幾百万の読者が、その同じ幸運に会われるようにと、敢えて世に問う訳である。この名著「中村天風の生きる手本」を紹介する前に、この名著を著された、宇野千代さんの紹介をしたいと思います。
1987年山口県生まれ。1921年処女作「脂粉の顔」で作家活動に入る。35年に名作「色ざんげ」を発表。その翌年に会社を設立し、日本初のファッション誌「スタイル」を刊行する。57年、代表作「おはん」で野間文芸賞、女流文学賞を受賞。64年中村天風を知り「天風哲学」に影響を受ける。83年「生きて行く私」を発表、ベストセラーとなる。90年、文化功労者として顕彰。96年没。享年98歳。明治、大正、昭和、平成それぞれの時代を強く生き抜いてきた女流作家であると同時に、きものデザイナーとしても活躍した。

この著書「中村天風の生きる手本」は、宇野千代先生による歴史的名著「天風先生座談」の文庫版です。
宇野先生は、中村天風先生の、もっとも著名なお弟子さんの一人でありました。天風先生が亡くなる四年程前から、宇野先生はその薫陶を受けていたのです。後日、「この四年間に、私は自分で信じられないほどの変わり方をした」と述懐されています。天風先生と出会ったころの宇野先生は、それまで十七、八年間も一行も書けないという、作家として大スランプに陥っていました。当時、宇野先生は、そのようなご自分を、「私はちょうどそういう年齢に達したのだ」といった、一種、諦めの気持ちで眺められていたようです。それが、天風先生と出会ったことで、大きく変わります。「人間は何事も自分の考えた通りになる。」-天風先生のこのような言葉が、作家としての先生を蘇らせたのです。事実、「書けると信念すれば書けるのだ」と確信してからというもの、宇野先生は「蘇生したように書き始めた」と回想されています。「雨の音」といった名作、「生きて行く私」といったベストセラーは、その後に生まれた作品です。
幸福は幸福を呼ぶー私たちはそのような思いから、この歴史的名著を、再度、文庫版として刊行することに致しました。-はじめにー引用。
一章~「生きる手本」人生、何事も自分の考えた通りになる。

2章~「別人のような強い心になる」心身統一法。

3章~「一生に一度の感動」を得る!

4章~これが「大きな幸福が訪れる人」の生き方。

[box04 title="要点まとめ"]終始一貫
いかなる場合があろうとも、
精神の状態を、積極的で
あらしめねばならない。
この積極的というのは、
どんな場合にも、
「尊く、強く、正しく、清く生きること」。

精神生命の在り方を
切り替えない限りは、
本当の幸福は来ない。

「怒らず、恐れず、悲しまず」

(怒り、悲観、煩悶、苦悩、憂愁。)

これらの消極的感情を掃除する。
潜在意識の大掃除=観念要素の更改を、
不断の行いとする。

そして、「困った、苦しい、助けてくれ、等の」
消極的な言葉を口に出さない。

何事に対しても、
「現在感謝の心」を大切に。

「今日から、喜びと感謝の毎日を生きる」[/box04]

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-心映え読書時間

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