〈哲学の巫女〉池田晶子女史
〈人を信頼できないのは〉
そうは言っても、
しょせんは人間ですからねえ。
こういう言い方が、
私は死ぬほど嫌いである。
「しょせん人間」という
言い方をするその人が、
「しょせんその程度の」
人間であるという
だけであって、
すべての人間が
その程度の人間であるという
わけではない。
そういう言い方を
好んでする人は、
「汝らは汝らの量る秤で
量られるであろう」
という聖書の至言を、
よく噛みしめてみるように。
人を信頼できない人は、
他でもない、
その人自身が
信頼できない
人なのである。
自分自身が信頼できない
人間であることを
知っているから、
その人は他人も信頼
できないのである。
決して、
他人のせいではない。
『考える日々 全編』池田晶子(著)引用
〈勝っても負ける生き方〉
「勝った」「負けた」と大騒ぎし、
カネや出世や名声を求める。
そんなのはしょせん、
他人との比較でしか
自分の幸せを測れない
人のやることだ。
言いたくはないが、
人にはそれぞれ品格がある。
人間には上品と下品の
二種類がある。
自分の欲に振り回されて
アタフタと生きる人を、
下品という。
足るを知り、
心安らかに暮らす人を
上品という。
内的な幸福を得ずして
外的な勝ちを得る。
そんな勝ちは
すなわち負けである。
時代や社会が
いかに変わろうが、
物事を深く考える人は
いつも考えているし、
自ら考えない人は
他人の価値観に
振り回される。
自分の人生を生きていないのだ。
『私とは何か』池田晶子(著)引用
〈大変な格差社会〉
人間は人間であることにおいて
ことごとく平等であるなど、
意味不明なことを
言ったのは誰なのだ。
そういう不明なことを言うから、
社会的平等が人間の平等だと、
いいように勘違いする人間が
現われる。
欲望を権利と、
嫉妬を正義と、
主張して憚らない
賤しい品性が
跋扈するように
なるのである。
しかし、
そのような品性であるという
まさにそのことにおいて、
人間は不平等なのである。
上品、下品の格差は
明らかと言える。
なるほど職業に
貴賤は存在しないが、
人間には明らかに
貴賤が存在する。
金の多寡など僅差であるが、
品格の差は雲泥である。
あの人は下品階級の人だ。
うんと差別的に
見るようにしたい。
『知ることより考えること』池田晶子(著)引用
最近のニュースで、
給付金誤振り込み事件
というのがあるが、
何でも、誤って振り込まれた
四千数百万円あまりを、
引き出して返還を拒否して、
行方不明になっている24歳男性、
こんな馬鹿げた事件が、
この日本のどこかの町で
起きていること自体が
情けなくて虚しいことである。
日本という国は、いつから
こんなふざけた品性の輩が暮らす
虚しい品性の国になったのだろうか。
もちろん、一億何なんとする人間がいれば、
中にはこんな品性下劣な輩がいても、
詮無いことなのかなとも思うけれど、
余りに情けない事件故に、
昨今の日本の風潮に、
少なからずその起因らしきものも
隠れ潜んでいる気がしてならない。
上品、下品、心して、
足るを知り、
心安らかに暮らす人でありたい。