〈哲学の巫女〉
池田晶子の世界
【情報化社会の空虚な孤独】
ネット通信というのは、
「人とつながりたい」
という欲望によるという。
この「人とつながりたい」
という欲望とは
如何なる欲望なのか、
それが不可解なのだ。
人の言う「淋しい」という感覚が、
どうも私には
欠けているようなのである。
孤独ということなら、
私は自分の孤独に満ち足りているので、
少しも不足を覚えない。
孤独が充実しているからこそ、
言葉も充溢してくるわけで、
空虚な孤独が空虚な言葉で
つながって、
果たしてつながったことに
なるのかと疑う。
他人を求めるより
自分を索めるほうが、
順序としては先のはずだ。
〈考える日々 全編〉池田晶子(著)抜粋引用
つくづくこの池田女史、
その一見たおやかな容姿に似合わず、
さすがは「哲学の巫女」
と言われるだけあって、
われわれ凡人には
とても窺いしれない
強くたくましい精神を持って、
「考えること」に生涯を捧げた
天才文筆家であり哲学者ですね。
年齢は1960年生まれなので、
わたしとほぼ同年代ではありますが、
何でも、生涯、携帯電話や
パソコンなど、
その類のものはお使いにならず、
〈本人曰く〉
学生時代、ある時期から
実家を出て下宿を始めた。
酒ばかり飲み、
帰宅が遅いので叱られる。
それが煩わしくて、
家を出たのだ。
港区芝、線路際の四畳半、
トタン屋さんの
作業場の二階である。
トイレ付き、二万円、
トタン職人の
じいちゃんは江戸っ子で、
「震災も戦災もここなんでい」
と威張っていた。
その頃は、ほんのそこまで
海だったそうだ。
なにしろ線路のすぐ脇だから、
よく揺れる。
昼間は、山手線、
京浜東北線、東海道線、
新幹線に加えて
モノレールまで走る。
合い間にトントン、
トタンを打つ音、
それは賑やかだった。
が、夜が更け、
最終電車が行ってしまうと、
ピタリと静かになる。
それからが私の思索の刻だ。
安いので、
焼酎ばかり飲んでいた。
一升瓶からコップで呷る。
グイグイと呷りながら
思考を加速し、
形而上へと離陸する。
まあ、ロケット打ち上げの
燃料みたいなもの
だったんでしょうね。
しかしこれが当時の私には
面白くてたまらなかった。
本当によく考えた、
考えられた。
今の考えの原型は、
あの部屋と焼酎によって
作られたと言っていい。
〈知ることより考えること〉より引用
この文章を読んだ時は、
その存在が一気に近く感じられて、
何か、胸が高鳴るような
そんな気持ちになったものです。
焼酎をコップ酒で呷る女子大生、
やはり並ではありません。笑。
ほぼ同年代ですが、
まあ、比べるのも憚られますが、
その頃のわたしと言えば、
流行りのバックパッキングで、
ヒッチハイクしながらの
北海道一周のひとり旅、
途中、有珠山の噴火を
「虫の知らせ」で窮地を免れながら、
どこまでも浅い考えの、
「自分とは」「人生とは」、
その答えを見つけるべく、
テクテクと北の大地を
歩いていました。笑。
まあ、四畳半で、
焼酎を呷ってる女子大生
よりかは健康的だとは思いますが、
ただ健康的というだけで、
その思考の中身はまったく
比ぶべくもありませんが。苦笑。
そう言えば、道中、
実家の両親に何か便りをと、
日本最北端の宗谷岬から、
オホーツクの海水で顔を洗って、
現地で購入した絵ハガキに、
一言「元気です。」
これだけでも十分想いは
伝わっただろうと思ってましたが、
旅が終わって、実家に帰った際には、
散々、おふくろから、
「たった一言で、」と叱責された思い出が
今も脳裏に焼き付いています。
「親の子を想う気持ち」
今ならよくわかるのですが、
その当時は、わかりませんでした。笑。
外面は孤独に見えても、
内面に幾つかの「想い」さえあれば、
人は孤独にはならない。