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【思い込みを見抜く】あらゆる思い込みを見抜き、絶対自由でありなさい。「哲学の巫女語る」

哲学の巫女」

池田晶子女史の言葉

〈思い込みを見抜く〉

ほとんどの親は、

我が子を教育する際に、

自ら気づかず自分の欲望や

不安を投影している。

いい学校へ入りさえすれば

人生は安泰である。

お金がなければとても

生きてはゆかれない。

そういう単なる思い込みを、

世の全員で子供に

押しつけているのである。

しかし勝手な思い込みを

押しつけられた人生が、

どうして幸福であり得るだろう。

もし私が親ならば、

何を教育するでもない。

そのような世の思い込みを

いかにして見抜くか、

それだけを教育する。

人間は思い込みの動物である。

思い込みこそが人間を

不自由にする。

あらゆる思い込みを見抜き、

絶対自由でありなさい。

そして、

自ずからなるところの

人間になりなさい。

それこそが、

こんな世の中でも、

幸福である人生だ。

『人間自身 考えることに終わりなく』引用

〈先が見えないのは当たり前〉

「先が見えない不安」とは、

人々の口癖である。

しかし、

人生の先が見えないのは、

当たり前のことである。

そんなのは

今に始まったことではない。

人生の価値は、

生活の安定や生命の保証に

あると思っていると、

そのこと自体で、

人は萎えてくるように思う。

倒産から脳梗塞まで、

人生にはいろいろあるのが

当たり前だからである。

むろん、

それはそれで本当に

大変なことである。

けれども、

そんな大変なことどもを、

どれだけ萎えずに

生き抜くことができたか、

それこそが人生の価値なのだ。

そう思っていた方が、

逆に生き易いような気がする。

『41歳からの哲学』引用

以上の二つの文章があって、

その上で、まとめのように、

パラドクス(逆説)として、

以下のように語っている。

「幸福のパラドクス」

自由であろうとして捉われる。

幸福であろうとして不幸である。

幸福とは何がしか

形なきものであるはずだと

予感しながら、

形なきものを形なきままに

させおくことができず、

何がしか

形あるものとして

捉えては、捉われる。

たとえば、

形なきものであるはずの

「愛情」を求めようとして、

人は、「結婚」や「家庭」

という形を求める。

あるいは、

形などあるはずもない

「自由」を求めようとして、

人は「自立」もしくは、

「自己実現」という形を求める。

求められるこれらの形は、

すべて観念と化した幸福である。

人は、

観念と化した幸福に捉えられ、

追い求め、

得られないことの

不幸を嘆く。

しかし、

本来目見えず、

手にも触れない

ところのものが、

その手に得られないのは、

あるいは当然のことかも

しれないのである。

『あたりまえなことばかり』引用

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