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優しい笑顔は思いやりの世界共通言語。”持ち家ない。お金もない。伴侶もいない。あるのは覚悟だけ。”黄昏ひとり暮らし ”孤独を楽しく”生き方webメディア。

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【春夏秋冬】人生の一回性、喜びも悲しみも、一回きりの経験である。

陽気と景気は密接と聞くが、

冬らしい冬、

夏らしい夏は、

衣料品を始め、

季節商品がよく売れるとか。

つまり人は、

買い物をすることで、

季節の到来を楽しんでいる。

人は、

季節が季節として巡るのが、

やっぱり嬉しいのである。

たとえば時候の挨拶、

「寒さ厳しき折」、

そう言う時節に、

そう言う言葉を書くことが

できるということは、

ひとつの深い安心である。

わかりきったことに、

人は安心を覚えるのである。

ああ、何にも変わってないんだな。

あるいは年賀状、人は、

「今年もよろしく」と書く。

「何を」よろしくなのか。

わかりきっている。

嘘礼である。

しかし人は、

「これまでがそうであったように、

これからも。

そういう希望をそこに託す。

お互いが無事でありますように。

人生の一回性、

喜びも悲しみも、

一回きりの経験である。

そういう経験の総体としての

人生というものそれ自体が、

一回きりのものである。

一回きりで過ぎてゆき、

二度と戻らないものである。

このことを人はわかっている。

深いところで誰もが

了解しているのである。

だからこそ人は、

過ぎてゆかないものを求める。

過ぎてゆくものにおける

過ぎてゆかないもの、

過ぎてゆくけれども

巡るもの、

を求めて、

見出し、

嬉しいのである。

「今年も花が咲きましたね」

と、言えることの幸せ。

ゆえに、季節とは、

過ぎゆく人生の句読点

のようなものだろう。

一回性における永遠性、

永遠の循環性を見出す時、

人は、

自分が自分の人生を

生きていることの奇跡をも

知るはずである。

ああ私の人生は

このようでしか

あり得なかった。

何もかもこれでよいのだ。

永遠的偶然。

偶然的現在。

だから一期一会なのである。

「今年もよろしく」の年賀状が、

年々歳々、「在り難い」。

毎年欠かさず下さる方から、

今年は届くことがなかった。

さようなら。

またいつかどこかで

巡り合いましょう。

〈知ることより考えること〉池田晶子(著)抜粋引用

[box05 title="黄昏ナルー"]

 

こういう文章を読むと、

 

黄昏を生きる老体の心に、

 

そこはかとなく染み渡るようで、

 

何故かこの冬の寒さが、

 

いつにも増して堪えるような、

 

そんな気持ちに苛まれる。

 

それでもゆっくりと過去を、

 

想い起こして考えてみると、

 

幼い頃の、

 

あの山間の田舎で

 

過ごした日々は、

 

都会で暮らす今と比べると、

 

その寒さの度合いは、

 

比べようもない程の、

 

それこそ身を斬るような

 

ある意味、過酷な寒さでは

 

あったなあ。まあ、それでも、

 

おそらく東北や、北海道、

 

そんな所と比べてみれば、

 

月とスッポン、天国と地獄、

 

提灯に釣鐘、鯨と鰯、烏と鷺、

 

まあ、まったく相手にならない程の、

 

寒さではあると思われるけれど、

 

それでも幼い身には堪えました。苦笑。

 

そんな想い出も、

 

こんな文章に透かして見ると、

 

なんと尊い想い出なることか、

 

郷愁の念で、心が震えます。

 

人生の一回性、

 

喜びも悲しみも、

 

一回きりの経験、

 

了解しているからこそ、

 

そして黄昏なればこそ、

 

心して過ぎゆく季節を、

 

味わい尽くさねば、

 

すべては一期一会。

 

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