”最後の苦労をするのです”
この一文は、先日、クモ膜下に倒れられたと、
報道された、伊集院静さんが連載されている
”それがどうした”というコラムの一文ですが、
アラ還の私にとって、非常に心に刺さる言葉でした。
伊集院さんが、最近、定年を過ぎてやることがない
と嘆く人たちと談笑する機会があった折に、
皆さんが、伊集院さんがいつまでも働けて羨ましい
というような事を言われ、何かいい方法はないか、
と尋ねられた際に、正直に答えられたそうです。
「私がこの歳まで仕事ができるのは、
一作品を書き上げると、次はさらに新しいものと
取り組もうとしているからかもしれません。」
皆、妙な顔をしていたそうです。
永い年月、懸命に働き、会社を去り、
一人になった時に、
やがてやってくる切なさがある。
そういう人たちに伊集院さんの言葉、
「六十五歳を過ぎて何かをしたかったら、
それまで経験した苦労、辛さの何倍もの
苦節の時間と対峙すべきです。
”ひとつのことを成し遂げた自分が今更なぜ、
そんな苦労を、”
という考え方ではダメです。
”最後の苦労をするのです”
いや最後まで大変なのが仕事です。」
「これまでの勲章を捨ててしまいなさい。
それは過去のことであって、
今日、明日からの日々の仕事や、
生き甲斐とはまったく別のものです。
ほんの一年か、一年半、
苦労をしてみるのです。
きっと何かを得られます。」
今更という顔をする人もいれば、
そうか、やってみるかという人もいる。
「新しい考え方、新しい自分、新しい仕事と、
取り組むことは、そう易々とはできない。
それでもやるしかないというのが私の考えだ。」
二十五歳の時に起業して、
35年間苦楽を過ごした会社を、
後継者不在で解散し、
アラ還になって、またひとりで、
新しいことを始めた自分にとって、
何だか”背中を押してもらえた”ような
心強くなった一文でした。
「最後の苦労をするのです。」
頑張りましょう!アラ還万歳!笑。