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優しい笑顔は思いやりの世界共通言語。”持ち家ない。お金もない。伴侶もいない。あるのは覚悟だけ。”黄昏ひとり暮らし ”孤独を楽しく”生き方webメディア。

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【老後の哲学】老いて黄昏に暮らす身に染み入る池田晶子の世界。

〈老いた身の心に秘めやかに染み込んでくる〉

「逆転の人生を生きる」

歩きたくても歩けない、

去年できたことが今年はできないとは、

多くは恐怖か絶望であろう。

しかし、

生きるという経験が

初めてのわれわれには、

老いるということもまた

初めての経験である。

これはいったい

どんな新しい経験なのか、

驚きとともにそれを

味わうということが、

なおわれわれには可能である。

人生を思索するのではなく、

人生が思索と化すと私は書いたが、

これをさらに言えば、

私が人生を生きているのではなく、

何かがこの人生を、

とりあえず私という名で呼んでいる

この人生を生きている

ということになる。

このような、

普通には逆転した構えで

生きることは、

われわれから恐怖や絶望を、

少なからず取り除いてくれる

のではなかろうか。

「新・考えるヒント」抜粋引用

〈これが哲学というものか〉

暮らすとはどういうことか、

生きるとはどういうことか、

そして老いるとはどういうことか。

池田晶子女史の言葉は、

端的ではあるのだけれども、

本質をついている気がする。

そしてその言葉は、

限りなく平易で、

読み手の心にスッと寄り添うから

不思議と勇気づけられ、

心が浮き立つように励まされる。

ここでもう一つ黄昏の身に沁みるエッセイを、

「アンチエイジングでサルになる」

「ピンピンコロリ」が、

アンチエイジングに励む人々の

合言葉なのだそうだ。

ピンピン元気に遊んで生きて、

突然コロリと死にたいものだと。

私は、

このようなものの考え方に、

何となく浅ましいものを感じる。

どうせ死んでしまうのだから、

死ぬ前に、楽しみたい。

楽しむだけ楽しんだら、

人生に用はない。

だとしたら、サルである。

死の何であるかを

考えることもなく、

ひたすら快楽を追求するための

動物的生存である。

人間が動物と異なるのは、

生死の何であるかを考える機能、

すなわち精神を所有している

ところにある。

精神は、誰もが等しく

それを所有して生まれてきた

はずのものである。

なのに、

ほとんど使用されることもなく、

どこかその存在すら

知られることもなく

終了される人生とは、

いったい何か。

〈41歳からの哲学〉抜粋引用

何度も言うようで恐縮なのだけれども、

何故にこうも池田晶子女史の言葉は、

どこまでも平易でわかりやすい

言葉であるのにもかかわらず、

およそ哲学のあの、

難解でわかりにくい文章から

遠く離れたところから放たれた

緩やかな曲線を描く、

アーチ模様に彩られたような弓矢、

そんな趣きであり、

それだからこそ、

まっすぐに心に刺さる。

この「哲学エッセイ」は、

ある種、芸術である。

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