「哲学の巫女」
池田晶子女史の言葉
【言葉の力】
「あの人の言葉に傷ついた」と、
我々は何気なく言いますが、
まるで言葉がナイフで、
それが心を切り裂いたかのようだ。
しかし、
そんな現場、
そんな現物を見た人はいませんよね。
見ることはできなくとも、
しかし人は確実にそれを感じている。
ナイフの言葉で心を切られた。
心の痛みは明らかだ。
この痛みの明らかさの前に、
言葉は「しょせん」言葉にすぎないなんて、
人は言えないはずですよね。
言葉には、
人の心という現実を
動かすだけの力がある。
いや言葉にだけその力がある。
物理的現実を見ている。
もしくは生きているところの
心的現実というものの
存在を認めるなら、
このことは納得されるはずなのです。
『暮らしの哲学』引用
上記の文章の最後の部分、
「物理的現実を見ている。
もしくは生きているところの
心的現実というものの
存在を認めるなら、
このことは納得される
はずなのです。」
こういう表現がいかにも
哲学的な言い回しで、
我々凡人が、フッと引っ掛かって、
なかなかこの手の本に、
馴染んでいけないところなんですよね。苦笑。
なのでここは、やわらかい心で、
素直に文章のまんまに、
読み過ぎることにして、
「目に見える物、見えない心、
どちらも存在している」と、
認めて、納得します。笑。
それでは、「哲学の巫女」、
池田晶子女史の「言葉」
についての論を続けます。
【言葉がなければ現実はない】
しょせんは言葉、
現実じゃないよ
という言い方をする大人を、
決して信用しちゃいけません。
そういう人は、言葉よりも先に
現実というものがある。
そして、
現実とは目に見える物のことである。
とただ思い込んで、
言葉こそが現実を作っているという
本当のことを知らない人です。
「犬」という言葉がなければ、
犬はいないし、
「美しい」という
言葉がなければ、
どうして現実なんか
あるものだろうか。
目に見える物だけが
現実だと思い込んで、
一生を終えるなんて、
あんまり空しい人生だと
思わないか。
『14歳からの哲学』引用
【人間を創るものは】
言葉は人間を
支配する力をもつから、
それを言うその人を、
必ずそんなふうに
してしまうものなんだ。
面白いから、
そう思って、
まわりの人を
観察してごらん。
正しい言葉を話す人は
正しい人だし、
くだらない言葉を話す人は
くだらない人だ。
その人が話すその言葉によって、
君はその人を判断するだろう。
その人の話す言葉が、
その人をまぎれもなく
示していると
気がつくだろう。
世界を創った言葉は
人間を創るということを、
よく自覚して生きることだ。
つまらない言葉ばかり
話していれば、
君は必ずつまらない
人間になるだろう。
『14歳の君へ』引用
【魔法の杖】
言葉は道具なんかではない。
言葉は、
自分そのものなのだ。
だからこそ、
言葉は大事に
しなければならないのだ。
言葉を大事にするということが、
自分を大事に
するということなのだ。
自分の語る一言一句が、
自分の人格を、
自分の人生を、
確実に創っているのだと、
自覚しながら語ることだ。
そのようにして、
生きることだ。
言葉には、
万物を創造する力がある。
言葉は魔法の杖なのだ。
人は、
魔法の杖を使って、
どんな人生を
創ることもできる。
それは、
その杖を持つ人の、
この自分自身の、
心の構えひとつなのだ。
『死とは何か』引用