した「人生のことば」歳を取ってはじめて得られる喜びがある。
「これでおしまい」篠田桃紅(著)
自分を好いてくれる人を悲しませたくない。
だから生きているのよ。
ほんのすこしの人たちのために。
墨はいくら濃くしても真の闇にはならない。
何かやり残しているところがあるから、
生きていられるんですよ。
私は人間が主人である着物の方が好きなの。
洋服は従わなければならない。
それがイヤというより情けないのね。
どうでもいいやと自然のなりゆきまかせ。
いちいち、あ〜大変だ、
あ〜不安だってやっていたら、
忙しすぎて生きていられない。
〈まえがき〉
人生というのは、
長く生きてきたけれど、
何もわかりませんよ。
こうしてただ生きてきたんだと思うだけで。
でもそれでいいと思う。
この百余年ばかりこの世に生きて、
この宇宙、人生、
そういうものをわかろうなんて思ったって、
そりゃあ無理です。
人生には、
これから訪れるかもしれない希望、
現実、
過ぎた思い出というのがある。
希望どうりにいかないのが現実。
だけど、
思い出は悲しかったことでも、
楽しかったことでも、
思い出があるということが、
とてもいいことだなと思いますね。
あのときはああいうことで
楽しかったなあとか、
思い出に残ることがあると、
いい人生だったと思える。
何かをするときも、
後々、
印象として残るように
やりたいと思うようになって、
人生への心意が生まれてくる。
時間というものを言い思い出になるように持てたら、
人間はいいなと思いますね。
〈篠田桃紅〉
〔目次〕
〔ことば編〕
一、
みんな誰だってひとり
二、
自由は人生を生きる鍵
三、
人は苦しむ器
四、
あきらめて救われる
五、
老いを受けとめる
六、
あらゆることをして悟る
〔人生編〕
一、
大正ー少女時代の思い出
二、
大正後期から昭和初期へ
(自由を求める日々)
三、
昭和戦時中
(生死の境をさまよう)
四、
昭和戦後
(父母との別れ、そして渡米)
五、
昭和後期から平成、令和へ
(人間の歴史を思う)
〔あとがき〕
昔の人って、
どうしてこんなに
妙を得た形容をしたのでしょう。
「世迷い言」よまいごと
結局、人間は一生、迷っているんです。
だから文学や哲学などを書く。
この世に迷って書いている。
誰もはっきりとした道を見据えて、
歩いているわけじゃないのよ。
迷って歩いている。
文学や哲学を読んだって、
人生がわかったわけでもなんでもない。
ますますわからなくなっている。
私の言葉にしたってそうよ。
この世の風に吹かれて、
あっちへ行ったり、
こっちへ行ったり、
まぎれもない「世迷い言」です。
〈みんな誰だってひとり〉
いつも誰々さんと一緒。
何もかもみんなでやる。
独立心を持たない。
甘えたような考えが
とってもはびこっているのね。
一人で生まれて一人で死ぬんだもの。
はっきりわかっているのに、
「私は孤独」と言うのがおかしい。
当然すぎるほど当然。
孤独に向き合っていないわね。
怖くて孤独に向き合えないのよ。
だいたい人間が孤独だなんて思うのは生意気ですよ。
あたり前のことです。
自分だけが取り残されちゃったとか、
私を理解してくれないとか、
そんなことを思うだけ甘えていますよ。
孤独でない人なんていないでしょ。
誰一人いないでしょ。
みんな一人ですよ。
人間にはいろんな繋がりかたがあります。
どれが真実で、どれが嘘なんて言えない。
みんな真実。
憎み合ったのも真実。
頼み合ったのも真実。
携え合ったのも真実。
でも究極は一人です。
最後は一人。
仲良く手を繋いでいても、
中身は孤独なんです。
夫婦だって、
親子だって、
みんなそうよ。
後になって孤独だってことがわかる。
人生というのは究極に孤独なんですね。
誰もその人というものを
そっくり受け止めることはできない。
夫婦も無理、親子も無理、友達も無理。
みんなその一部を共有したという
ことでしょうね。
人間は結局孤独。一人。
人にわかってもらおうなんて
甘えん坊はダメ。
誰もわかりっこない。
人生は最初からおしまいまで孤独ですよ。
一人で生まれ、一人で生き、
一人で死ぬんです。
誰も一緒にはやってくれません。
〈篠田桃紅略歴〉
1913年、中国、大連に生まれる。
5歳の時、父の手ほどきで初めて
墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。
第二次世界大戦後、文字を解体し、
墨で抽象を描き始める。
1956年渡米し、
ニューヨークを拠点に、
ボストン、シカゴ、パリ、
シンシナテイ他で個展を開催。
58年に帰国して後は、
壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、
東京・芝にある増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、
リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、
活動は多岐にわたった。
1950年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、
80年代から90年代にかけては、
線はより洗練された間を構成していった。
さらに、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、
墨は静かに鋭く、
あるいは控えめに層をなしていった。
2005年、ニューズウィーク日本版の
「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるなど、
晩年まで精力的な活動を続けた。