【亡き妻】さえ生きていてくれれば、、と、
2024年新年明けて早々、
そんな想いに捉われるような出来事があった。
もうすでに4日5日過ぎているのにもかかわらず、
いまだに我が身の不甲斐なさに、
時折こころ乱れる自分がいて情けない限りです。
この4、5日、
ウオーキング瞑想で心を落ち着かせてみたり、
働くことでその出来事を忘れさせてみたり、
あの手この手で平静な心持ちを保ってはいますが、
今朝になってつくづく亡き妻のことを思い起こし、
「こんなことでは亡き妻に笑われるな、、。」
なんてことをひとり呟きながら、
気持ちをすっかり切り替えられた自分がいます。苦笑。
亡くなっても尚、支えてくれていることに感謝です。
こころの大きな人でした。
心の広い人でした。
そして限りなく澄んだ人でした。
それはまるで、青い空のように、青い海のように、
果てしなく広く、果てしなく深く、限りなく碧く。
彼女が、余命宣告を受けて後、或る日、
闘病している病院のベッドに二人で横並びで座り、
わたしはこう問い掛けました。
「今まで、お母さんから、愚痴とか悪口とか、
まったく聞いたことがないんだけど、
人に怒りだとか、そんなこと思ったりしたことないの?」
「それは私だって、嫌だなって思ったりすることはあるよ。
でもそんなこと言ったって仕方ないでしょ。」
「そうなんだ〜。嫌だなって思うことはあるんだ?
全然そんな風には見えなかった。」
「それはあるよ。」(微笑みながら)、
その会話はそこまででした。
亡くなった後、この会話の続きを、
もっとしておけば、そんな時の、
心の処理の仕方なんかも聞けてたのにって、
凡夫のわたしなんかは、思ったりもしたものですが、
今回の出来事が起きて、
わたしの心の推移なんかを辿ってみるとき、
やっぱりこういう時の心の対処の仕方って、
テクニックとかではないんだな。
その人の精神そのものの有り様なんだなって、
やはり凡夫なわたしは、幾つになっても未熟です。
亡き妻あってのわたしでしたが、
亡くなっても尚、支え続けられているわたしです。
2023年、新年明けて早々、
亡き妻の精神に触れることが出来たことに感謝です。
因みに、
亡き妻の精神は、ひとり息子にも、
しっかり受け継がれている事が有難い。
そしてこの精神が、
後の代まで、
血脈を通して受け継がれることを想う時、
わたしと亡き妻との出逢いの意味が、
ここにあるのかも知れません。
末代に幸多からん事を、、。