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老後ジャーナル

【ブロガーライフ】文章を書くと言うことは心を洗うと言うこと。

「文章を書くということ」は「心を洗う」ということ!

幸か不幸か、「文章」という文字が、

自分の名前の中に含まれていたばっかりに、

ものごころついたあたりからずっと、

何となくその正体はわからないままに、

なにものかが心の中にへばりついてたような、

そんなわけのわからない存在が、

私にとっての「文章」という存在ではありました。

小・中・高と、必ず先生から呼ばれたのが、

「ブンショー」「ブンショー」であったし、

本来は、「フミアキ」と読むのであるが、

もうほとんどすべての先生が「ブンショー」

そのうち自分でも、もういっそのこと、

「ブンショー」という事にしようかな、?

なんて思ったりしたりなんかして、(苦笑)。

まあ、それと言うのも、

ほとんどが親しみを込めた感じで

呼ばれていたので、そう呼ばれることに

決して悪い気持ちはしていなかったし、

だからなのか、何故か、国語の長文なんかも、

妙に親しみなんかを覚えちゃったりなんかして、

長文の要約なんかも、変な苦手意識もなく、

どちらかというと得意科目みたいになったり、

そうか、という事は、「数男」君は数学得意で、

「理子」ちゃんは理科得意でみたいになる?(笑)。

まあ、一概にそうとも言えないだろうけど、

いずれにしてもわたしの場合は、他の科目に比べれば、

好きな科目ではあったな。そう考えたら、もし親が、

「全科」(ぜんか)とかの名前を付けてたら、

全科目得意科目になってて、東大卒になってた?(笑)。

なんてしょうもない文章を書いてるわたしは、

なんて親不孝者なんでしょうね!(苦笑)。

まあ、親不孝者であるというのは、

自他共に認めるところではあるのだけれども、(苦笑)。

そんな親不孝者が、いまこうやって、

幸か不幸か「文章」が名前に含まれていたばかりに、

「文章を書く」ということを、好きで続けています。

これも不思議な事ではあるのだけれども、

日記という類いのものは、生まれてこのかた、

三日と続いたことのないわたしが、何故かこのブログ

ということになると続いているという不思議?!

これを少し考えてみたのですが、(無いアタマで)。

まず日記は、その日の気分で、書こうと書くまいと、

時は流れていくということもあるし、

同じ1ページでも、それこそ日記の場合は、

こころの上っ面に浮いた言葉を綴ってみても1ページ。

それがブログということになると、公に晒されるだけに、

どうしてもいつしか、こころの奥深くまで抉ったような、

そんな文章に仕上がっていくので、それが面白い事と、

それによって、いつしか心が洗われたような気分になって、

ジョギングや、ウオーキングで得られる、

身体のリフレッシュ感みたいな感じで、

心(脳)のリフレッシュ感が得られるのがいいのかな。

また駄文を書いてしまった。(苦笑)。

〈読みたいことを書けばいい〉

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