【池田晶子】詩的文章
「過ぎゆくものを、痛いと感じる。」
春に思う「この感じ」
年寄りたちが、
あるいは余命おぼつかない
ような人たちが、
「来年の桜は見られるだろうか」
と呟くのは、
何を憂えているのでもない。
自分がもう遠からず
死ぬだろうことなど、
もうその人には
わかっていることなのだ。
にもかかわらず、
いやだからこそ、
人は、
春になると変わることなく
花を咲かせる桜を見たい。
なぜなら、人生は、
過ぎ去って還らないけれども、
春は、
繰り返し巡り来る。
一回的な人生と、
永遠に巡る季節が
交差するそこに、
桜が満開の花を咲かせる。
人が桜の花を見たいのは、
そこに魂の永遠性、
永遠の循環性を見るからだ。
それは魂が故郷へ帰る
ことを希うような、
たぶん、
そういう憧れに近いのだ。
『暮らしの哲学』引用
過ぎ去って
還らないもの
失われて
戻らないもの
その不在の感覚が
けれども
春になると
変わらずに 咲く
桜の花に
その満開に
鮮やかに 痛い
哲学者「池田晶子」の詩的文章
過ぎ行くものを「痛い」と感じる
という、とても印象的な文章です。
もう一編の文章では、
「じっさい、
外界の星空を眺めている
私の内界にその星空は
存在するなんて、
とんでもないことですが、
事実です。これは、
無限を考えることにおいて
無限は(私の内に)存在するという
あれと同じですが、
こういう奇てれつな存在の構造、
知っていると、
季節の味わいも一段と
深いものになります。
虫の音ひとつ聴いたって、
もう宇宙旅行というわけです。」
〈暮らしの哲学〉より引用。
※哲学を生きるとは、
さながら宇宙旅行のようなもの。
〈池田晶子について〉
1960年8月21日
東京都港区出身。
慶應義塾大学文学部哲学科卒業。
高校時代は登山に熱中する。
大学時代、哲学者木田元に師事する。
アルバイトで雑誌「JJ」の読者モデル。
卒業後は就職はせず、
モデル事務所に籍をおく。
この時、「文藝」の校正の仕事を
したのがきっかけとなり、
文筆活動に専念するようになる。
「帰ってきたソクラテス」シリーズ(新潮社)や、
中学生・高校生向けの哲学の入門書
「14才からの哲学ー考えるための教科書」
(トランスビュー)、
「事象そのものへ」「考える日々」
などを上梓。
2007年腎臓ガンのため46歳で逝去。