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【老いを味わう】「肉体から精神へ」歳ばかりとって、中身は空っぽ。人はそれを「老醜」と呼ぶ。

「哲学の巫女」

池田晶子女史の言葉

【老いを味わう】

老いるということは、

外見やライフスタイル

の問題ではない。

それは完全に、内容の、

精神の精神のありよう

のことなのである。

何を価値としてその人は

そこまで生きてきたか、

その時それは隈なく

現れるのである。

その意味でそれは

恐いことではあるが、

面白いことでもある。

人生の作品は、

他でもないこの自分

だということだ。

ましてや、我々、

老いるのは

初めての経験である。

それはまだ未知なのである。

この未知の経験を

味わうことなく

拒否するのは、

せっかくの人生、

もったいない。

〈私とは何か〉抜粋引用

[老いるは面白い]

上の文章を読んで、

まさに感じたことは、

”老いるは面白い”と、

思えるか否か、

というか、感じれるか、

そういうことなのでは

なかろうか、、。

わたし自身の体験に

照らしてみたときに、

まあ、これが”面白い”に

当てはまるかどうかは

わからないのだけれども、

妻が病に冒されて、

最期の闘病生活のあいだ、

交わす会話、交わす視線、

お互いに見つめる視線の先、

そして互いに寄り添う空間、

それらのすべてが”美しい”と感じた。

その”美しい”が”面白い”と言えるか、

それはわからないのだけれども、

ただひとつ言えるとするなら、

それらのすべての時間は、

限りなく愛おしく、

限りなく絶対的で、

二つの魂が一つに溶け合う、

そんな神秘的実感で、

精神が満たされていた。

お互いに、身体的には、

美しさは失われていたけれど、

そんなものが、何ほどもない程に、

極めて満たされた”二人の永遠”、

そんな満たされた時間の後の、

最期の”今際の際”の妻の一言が、

それらの時間のすべてを

言い表してくれた。

”ありがとう、幸せだったよ。”

その言葉とともに妻は旅立って逝った。

だからこそ、遺された者の責務として、

老いを味わって生きなければ、

最期に、その”精神性”の大切さを、

教えてくれたのかもしれない。

だから強く、上の文章にも、

共感できるのかもしれないなあ。

【肉体から精神へ】

年をとることを

反価値とするのは、

肉体にしか価値を

置いていないからです。

なるほど年をとれば、

体力も体型も

肌のハリも衰える。

美しくなくなる。

だけど精神の側、

心や気持ちや

知恵の側を

価値とするなら、

年をとることは

それ自体で価値になります。

なぜなら、

年をとるほどに精神は、

味わい深く、

おいしくなってゆく

ものだからです。

だから私はこの頃とみに、

年をとることが

面白くてしょうがない。

年ばかりとって、

中身はカラッポ、

こういう年寄りこそ

醜いものです。

人はそれを

「老醜」と呼ぶ。

今のうちから、

中身の側へ、

価値を転換して

おきましょう。

〈人生は愉快だ〉抜粋引用

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